ボンビーJDがそれでもボランティアを続けるワケ
こんにちは。放課後ボランティアcompリーダーのハセガワです。
みんながボランティアに参加しやすくなるように、きっかけづくりや環境整備を行いながら、週2で児童館に通ってボランティアしています。
そしてそんな私は、親は年金暮らし、家庭内の唯一の働き手としてバイトしながら奨学金を借りつつ、やりくりして生活費、学費、定期代、ケータイ代を….
正直、ボランティアをしている余裕なんてない。
親にもあんまり理解してもらえない中、なぜ物好きにも私はボランティアを続けているのか。
自分でも不思議に思ったので、考えてみました。
|ボランティア最初の動機は、「エントリーシートに書けそう」
ボンビーな私の高校生の頃の夢はただ一つ。
「いい会社に入ってお金持ちになること」
極めて典型的、だけど他人には少し言いにくい夢ですね。。。
ただ、成績に伸び悩んだ私は、次々に塾に通いだす友人たちを見て思いました。
また、おまけに少しプライドの高かった私は、ちょっと自分のレベルでは厳しい大学を受験し、 当然ながら落ちたことを受けて、余計に確信しました。「やっぱり世の中カネだな」と。(単純に努力不足な面もあると思うんですけどね。)
その後、学費を親戚からかき集めて予備校に通いました。家もあるし、明日のご飯がない、なんて経験をしたことがなかったので、そこまで気にしたことはありませんでしたが、合格した後も入学金がすぐに用意できなくて、「あ、やっぱ貧乏なんだな」ってことを実感しました…
おそらく、私の家庭は「相対的貧困*」世帯に該当します。(取り消し線)
(追記) 奨学金の申請のために所得を計算した際、自分は貧困線を上回っていました。相対的貧困世帯ではなかったのです。 この事実は貧困線を下回る相対的貧困世帯が自分の予想以上に苦しいということを実感させました。皆さんも計算してみてください。
“ *相対的貧困・・・厚生労働省によると、貧困線を下回る等価可処分所得(世帯の可処分所得(収入から税金・社会保険料等を除いたいわゆる手取り収入)を世帯人員の平方根で割って調整した所得のこと)しか得ていない者のこと。全国消費実態調査の貧困線は 135 万円(2009 年)、国民生活基礎調査の貧困線は 122 万円(2012 年)。”
絶対シューカツで成功したかったので、エントリーシートに書けそうなボランティア経験は、大学入りたての私には魅力的でした。それにNPOでの活動です。
ボランティア内容も子どもと遊ぶくらい。フツーに楽しいし、子どもたちがギューっと抱きついてくれるのも本当に愛らしかったので、バイトの予定を優先させて月2回程度、土曜日の午前中を利用してボランティアを始めました。しかし、ボランティアといってもイベントを企画するわけでもなく、ただ一緒に遊んでいるだけなので、しばらく自分がボランティアをしている意義が感じられない状態が続きました。
(上)写真はイメージですが、本当にちっちゃい子って愛らしい…
|しんどい子への学習支援活動で児童館の子どもを見る目が変わった
1回生の夏に1週間、別のNPOの学習支援プログラムに参加しました。先述した通り、貧乏な私は教育格差問題に関心があり、プログラムの案内を受けた時に迷わず参加を決めました。
支援対象はいわゆる「しんどい子」です。いろんな要因で学力が乏しかったり学習習慣がついていなかったりする子たち。「この子たちの力になることこそが私がやるべきことなのかも??」と思っていた時、児童館のことを思い出しました。
児童館は0歳から18歳なら誰でも利用できる児童福祉施設です。また、私がボランティアに入っている学童保育は、昼間保護者が家庭にいない子たちが安全に放課後を過ごせるように集まるものです。いわば、学校と家庭をつなぐサードプレイスとして機能しています。
しかし、この頃は学童保育の待機児童が増えていると聞きます。私のボランティア先はそんなに大きくない児童館ですが、学童保育の登録者は100名を超えています。
また、通っている子どもたちはどうでしょう。
ひとり親の子、障がいがある子も通っています。よく観察していると、なかなか保護者と触れ合えないためか、甘え足りないで必要以上に甘えてくる子も多いです。いじめで苦しんでいる子も中にはいるのかもしれません。経済的な問題だけでなく、色々な要因で今後しんどくなるリスクを彼らはたくさん抱えています。そのことに気づきました。
経済的な困難をはじめ、いろんな要因でしんどい子への支援はとっても大切ですが、児童館に通っている彼らが抱えているような「今後しんどくなるリスク」は将来の貧困につながります。
私は相対的貧困世帯に属し、中途半端な貧困の苦しさを知っているからこそ、こういったサードプレイスの力に少しでもなって、貧困リスクを減らしたいと思いました。自分と同じように苦しい思いをする人が後を絶たないような世の中では、生きる気力がなくなってしまいます。
自分がしているボランティア活動の意義をようやく感じ始めました。
そして現在、ボランティア活動がもっと身近に、みんなの日常の一コマになるように「放課後ボランティアcomp」で活動しています。
|自分の中の違和感を、きちんと認識して欲しい
ボランティアをしていると言うとだいたい言われるのが、 「えらいね! 私はそんなに優しくないからできないわ」 ボランティアを始めた時はおそらくこういう反応を望んでいた気がしますが、 今は何だか違和感を覚えます。もやもやする。
もやもやの原因はきっとこれだと思います。
「優しいって何??」
私は優しい人間ではありません。 私がボランティアを続ける気力の源は、紛れもなく社会への幻滅であり、怒りです。自分や自分の子孫が将来楽して生きていくための行動です。支援対象は、目の前の人たちであり、自分自身でもあります。私のボランティア仲間の言葉をお借りすると、「あの時、私に手を差し伸べてくれなかった社会に自分が舞い戻って、あの時の自分に、それに相当する存在に手を差し伸べている」ような感覚です。 社会の中で困ったことがあったとき思った「こうなればいいのに」、また、講義で社会問題を扱ったときに書いた感想用紙の最後の「〜するべきだと思いました。」の一文を、一体どれだけの人が実際の行動に起こせているのでしょうか。
放っておいても誰も解決してくれません。 「余裕ができたら…」と考えている間に老いて行きます。 年金もらえない問題を抱える私たちの余裕ある日は、遠ざかるばかりです。 仕方ない、で終わらせないで欲しいし、そう言って何も行動しない人に私はなりたくない。 そして行動を起こせる人を増やしたいと思っています。
日常の一コマを、少し変えるだけで、ちょっといい明日に近づくんじゃないでしょうか。 少なくとも私はそう信じて活動しています。
ハセガワ
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放課後ボランティアcompでは、京都市内にて児童館ボランティア、学習支援ボランティア、学校ボランティアをしてみたい人を募集しています!
2017年1月15日(日)には京都にてボランティア希望者向けの説明会を開催予定!
普段ボランティア活動を行なっているメンバーが集まります。
詳しい情報は、近日中にお知らせできる予定です( ´ー`)ノ☆
よろしくお願いします。
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